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大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)7762号 判決 1970年7月17日

原告

稲江洋

外一名

代理人

山田一夫

岡村渥子

被告

浅井信昭

代理人

松元基

主文

原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

(原告ら)

被告は、原告稲江洋に対し金一〇〇万円、原告稲江和子に対し金五〇万円とこれらに対する昭和四四年三月二日(本訴状送達の日の習日)から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うこと

訴訟費用は被告の負担とする

との判決ならびに仮執行の宣言。

(被告)

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二、原告らの請求原因

一、訴外貴田繁義は、次の交通事故により死亡した。

とき 昭和四二年六月一四日午後一〇時四五分ごろ

ところ 大阪市西成区西荻町一〇番地先路上

事故車 自家用小型乗用車(大四こ七二三号)

運転者 被告(進行方向南から北)

態様 道路を西から東に向けて歩行横断中の貴田繁義(六五才)に、事故車が衝突し、同人をその場に転倒させ、死亡させたもの。

二、帰責事由

被告は、次の事由により、本件事故から生じた原告らの損害を賠償する義務がある。

1、根拠 一次的に自賠法三条、二次的に民法七〇九条、

2  右に該当する具体的事実は左のとおりである。

被告は、事故車を自己のために運行の用に供していたものであり、本件事故は、被告が無免許で運転未熟なうえ前方注視義務違反ならびに制限速度超過(四〇キロメートル毎時のところを五〇キロメートル毎時の速度で進行)の過失により惹起したものである。

三、損害

原告稲江和子は、昭和三四年七月、被害者貴田繁義と夫婦共同生活に入り、それ以来大阪市西成区田岸町に居住し、昭和三九年一月原告洋をもうけた。右貴田繁義は、前記共同生活に入るに当り、その戸籍上の妻貴田作子とは昭和二二年以来離別し、その後同女が死亡したため独身である旨原告和子に話していた。ところが、右繁義死亡後、同人にはその妻貴田作子ら妻子があることが判明した。然しながら、原告らは本件事故に至るまで右繁義を夫とし、父として平穏に生活していたものであり、同人の突然の死亡により、経済的にも精神的にも多大の損害と苦痛を感じているものである。これを慰謝するには、原告稲江洋につき右繁義の嫡出でない子(認知ずみ)として一〇〇万円、原告稲江和子につきその内縁の妻として五〇万円が相当である。

四、本訴請求

よつて、原告稲江洋は一〇〇万円、同稲江和子は五〇万円とこれらに対する本訴状送達の日の翌日たる昭和四四年三月二日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを被告に対して請求する。

第三、被告の答弁ならびに主張

一、請求原因(一死亡交通事故の発生)の事実中、事故車ならびに態様の部分を除き、その余は認める。事故車はトヨタ・ライトバン一九〇〇CC(大四つ七二三号)であり、被害者は、横断歩道設置箇所の南方二〜三メートルの本件道路西側端から東南の方向へ斜めに横断したものである。

二、同二(帰責事由)の事実中、被告が事故車の所有者であり、これを自己のために運行の用に供していたことは認めるが、その余は否認する。

被告は、昭和三八年一月二二日大阪府公安委員会から第一種普通免許を受け、以来運動具の行商のために毎日自動車の運転に従事し、これに習熟していたものである。又本件事故につき、被告には原告主張の如き過失はなかつた。すなわち、本件事故現場は、南北に走る国道二六号線の花園町交差点の信号機から北の連動式に設置されている二つ目と三つ目の信号機の間で、右三つ目の信号機のところは東西路との交差点になつていて右国道上に横断歩道が設置されている。被告は事故車を運転して、該国道を北進し、前記花園町交差点の信号機ならびに北へ二つ目、三つ目の信号機がいずれも北行き進めの青信号であつたので、事故車の前方約二〇メートルの前記横断歩道の西側端(被告の左前方)に約一〇人の歩行者が信号待ちのため佇立しているのを見届けて北進中、右横断歩道の西側端から車道との境に設置されている安全柵を車道内へ飛び越える人影(被害者貴田繁義)を認め、とつさに急制動を施して右に転把したところ、同人が右鉄柵を飛び越えたところで停止したので、通過しようとした瞬間再び同人が東南方つまり事故車の進路上に走り出したため、これを回避するいとまもなく、同人が事故車のボンネットに飛び込むような形で衝突して来て本件事故に至つたものである。

要するに、本件事故は、被害者の一方的過失に因るものであり、被告にとつては不可抗力ともいうべきものである。それ故、被告は本件事故につきその損害賠償義務を負うものではない。仮りに、右免責の主張が認められないとしても、前記被害者の過失は損害額の算定にあたり十分斟酌されるべきである。

三、同三(損害)の事実中、被害者貴田繁義と原告らとの身分関係の点は不知、その余は争う。

右貴田繁義には、妻作子、長女茜、長男恒夫、二男透の正当な婚姻関係に基づく配偶者及び嫡出子がある。つまり、仮りに原告稲江和子が訴外貴田繁義と同棲生活を営んでいたとしても、それは重婚的内縁関係であり、公序良俗に反するものであるから、これに基づく同原告の権利主張は否定されるべきである。又、原告稲江洋は、原告稲江和子と共に既に、前記貴田繁義の正当な相続人たる妻作子らを排除して、本件事故による自動車損害賠償責任保険金一三六万七、三三五円の支払いを受けているから、その請求債権はこれにより支払いずみとなつた筈である。

第四、被告の主張(損害のてん補)に対する原告らの答弁

被告主張のとおり、本件事故のため自賠責保険金一三六万七、三三五円の、その二分の一すなわち六八万三、六六七円を原告洋がもらい受けたことは認める。しかして、その経緯は左のとおりである。貴田繁義の戸籍上の妻子らは、貴田繁義が、広島から大阪へ働きに出たまま二〇年間も音沙汰なく、既に死亡しているものと考えていたため、繁義の遺骨の処理、法要等を、すべて原告稲江和子に託し、原告稲江洋の認知についても異存なく、更に、自賠責保険金については、貴田作子名義で請求をなしたところ、一三六万七、三三五円の支給があつたので、これを原告らと、右戸籍上の妻子らとで折半し、原告らのもらい受け分たる六八万三、六六七円は原告らにおいて然るべく処理されたいとの右貴田作子の意向に従いこれを原告洋の慰謝料に充当したものである。原告洋の本訴請求は、右支払いを受けた残余の金額である。

第五、証拠関係<略>

理由

一請求原因一(死亡交通事故の発生)のうち、事故車の車種ならびに事故態様を除く部分、同二(帰責事由)のうち、被告が事故車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。

二<証拠>を総合すると、本件事故の状況につき左の事実が認められる。

事故現場は、歩車道の区別のある平坦な南北に直線の舗装道路(国道二六号線)で、歩車道の境に防護柵があり、全幅二六メートル、車道の幅員8.8メートルでその中央にある分離帯が途切れた所であり、片側に三車線の通行区分帯が設けられ、附近は商店街でこれに通じる南北の道路が原告主張のとおり交差し、制限速度四〇キロメートル毎時の規制がなされていて、事故当時、路面は乾燥し、街灯があるため夜間にしてはやや明るい程度であつた。被告は事故車(普通貨物自動車)を運転し、該道路第二通行帯を南から北に向け右制限速度を越える約五〇キロメートル毎時の速度で進行中、前方信号機の青信号を認め且つ右国道を西から東に横断すべくその附近に待機中の歩行者のあるのを見てそのまま進行を続けたところ、左前方二〇数メートルの前記歩道との境にある西側防護柵から一メートル足らず離れた車道上に人影(被害者貴田繁義)を発見し、制動操作をなしたが、被害者において東に向けてなおも横断を続けて来たため右に転把したがおよばず、同車の左前部を被害者に衝突させてはねとばした。

右事実からすると、本件事故が、被告の速度違反ならびに、被害者を発見してから後、警笛を吹鳴して同人に警告を与える等安全な運転をなすべき注意義務に欠けた過失によるものであることは明らかである。

されば、被告の免責の主張はその余の点について判断するまでもなく理由がない。被告が本件事故に関し、自賠法三条による責任主体たる地位を有することは明らかである。

三進んで、原告稲江和子の賠償請求権の有無について考察する。

<証拠>を総合すると、左の事実を認めることができる。

同原告は、昭和一四年五月神戸市で生れ、鹿児島県鹿屋市で育ち、昭和二〇年ごろ呉市に移住し、同市の中学校を卒業後大阪府堺市の某紡績会社に女工として就職し、間もなく(昭和三〇年ごろ)郷里鹿屋市に帰り、昭和三年三月ごろ生活苦から神戸市の親戚に身を寄せるに至り、約一カ月間ここで編物等の仕事をなした後、昭和三七年ごろまで大阪市内で中華料理店の女給をしているうち、訴外亡貴田繁義と知り合い、未だ婚姻の経験をもたなかつが同市西成区甲岸町で同人と同棲生活に入り、昭和三九年一月二七日(当時原告和子二四才、右貴田繁義六一才)鹿屋市大手町で同人との間の子たる原告稲江洋を出産した。しかして、貴田繁義は、原告和子と同棲を始めたころ、いわゆる労務者として働き、田部晃と自称し同原告に対しては家族は戦争で全滅した旨話して妻子のあることを告げず、原告洋の出生届を鹿屋市役所へ提出したころ、その本名が貴田繁義であることを原告和子に知られてからも「戸籍などどうでもよい、時期が来れば子供は認知する」などと話していた。その後、原告ら母子は、右繁義と共に、大阪市内で生活を営み、主として、繁義の人夫稼業によりその生計をたてていたが、本件事故により繁義が死亡しため、原告和子において大阪市婦人相談所係員道倉某に身上相談をなし、同人において調査した結果亡繁義には被告主張のとおり法律上の妻(貴田作子)と、実子(長女茜、長男恒夫、二男透)があり、同人らが広島に住んでいることが判明した。そこで、原告和子において、昭和四二年八月一五日ごろ、右貴田作子方を訪ねて同女に対し、同原告と繁義との間に原告洋があること等を話したところ同女から、右繁義とは「二十数年会わず死んだつもりで写真をまつつている」ことだし、原告洋の認知についても別段異存はない旨回答され、その後、右道倉の尽力により原告洋の認知手続をなし(昭和四三年五月三日認知の裁判確定)、更に、右貴田作子を請求者として自賠責保険金の請求手続をなし、被告主張の全額(総額)の支給を受け、これを貴田作子と原告側とで折半し、結局六八万三、六六七円を原告和子において入手した。しかして原告和子は、本訴提起後の昭和四四年八月ごろ、訴外西浦某(四二才、再婚)と正式に婚姻し(届出ずみ)、同人の稼働(水道工事関係の事務職)により肩書住所地において平穏な家庭生活を営んでいる。

おもうに、いわゆる重婚的内縁関係は、法律婚主義ならびに一夫一婦制をとるわが国婚姻制度の上から、歓迎されないものであること論をまたないところである。しかしながら、それを一律に公序良俗に反するものとし、その法的効果を悉く否定すべきものではなく、第三者との関係においても当該内縁関係の実態、つまり当事者双方が婚姻の意思を有し、社会的にもその集団の一構成単位たる夫婦生活共同体として処遇されていたか否か(これに当らない単なる私通関係が法の保護の埓外にあることは当然である)と、これと併存する法律婚の実質との相関関係(就中、法律婚の事実上の離婚状態化)において、内縁に準ずる効果の有無を決すべきものと考える。

本件についてこれをみるに、亡繁義は原告和子と同棲生活に入つた昭和三七年ごろ、既にその妻(作子)と離れて十数年間その行方の知られなかつたものであり、その間の夫婦生活関係は、その実質を失い、事実上離婚しているのと同一の状態にあつたものということができる(もつとも、相続等については、作子において不可侵的地位を保障されている)。他方、当時(昭和三七年ごろ)、原告和子は未だ婚姻生活の経験を有しない二四才位の女給であり、繁義においては妻子のある年令六〇才位に達する労務者であるうえことさら偽名を用い、妻子とは死別した旨偽つていたものであつて、これらの点からすると、他に特段の事情の存しない本件にあつては、右同棲の事実が、相互に社会的に夫婦として承認される男女の精神的、肉体的結合を無期限に成立させる意思、つまり婚姻の意思のもとになされたものと認めることは困難である。

右同棲生活の結果原告洋が出生してから、本件事故に至るまでの約三年六カ月間繁義が子たる洋の養育にもつとめたことが認められるけれども、他方原告和子の婚姻届の要求に対しては「戸籍などどうでもよい」として拒絶放置しており(無論法律上は前記作子との婚姻を解消したうえで可能である)、他にこの間の関係が、客観的にも「夫婦の実」を備えていたこと推測させるに足る証拠はない。されば、原告和子と亡繁義との右生活関係は、同原告において主観的にこれを婚姻関係であると信じていたとしても、いわゆる内縁に準じて第三者たる本件被告に対して法的効果をもたらすものと評価することはできない。原告和子の本訴請求は、民法七一一条の規定を例示的なものと解するとしても、理由がないといわなければならない。

四そこで、原告洋の慰謝料請求権について考察する。

先に認定したとおり、同原告は亡繁義の子であるから、同人の本件事故による死亡により、民法七一一条に基づき慰謝料請求権を有すること明らかである。しかして、前認定の事故態様から認められる亡繁義の過失、その他本件に表われた一切の事情を斟酌すると、同原告固有の慰謝料は五〇万円が相当である。ところで、同原告が自賠法により保険会社から支給された金員のうち、慰謝料として六八万三、六六七円を受領していることはその自陳するところであるから、同原告の右損害は既にてん補されていること明瞭である。

五以上の次第により、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。(中村行雄)

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